有限会社きりしま木材

更新日:2022年06月13日

有限会社きりしま木材 代表取締役 小薗 公平 氏

「木のことなら何でも分かる」父の背中に魅せられて

—普段どのようなお仕事をされているのですか?

主体は何かと聞かれると「これだ」となかなか言い切れないのですが、原木を仕入れて、製材・乾燥させた木材製品を市場に出荷するのが主な仕事です。製材した製品を使ってテーブルやちょっとした本棚などの家具を作って販売もしています。他にも、年に2回、貿易関係の人から原木の調達依頼があって海外に出荷したり、工務店から「仕入れた原木を買ってほしい」などの依頼を受けたりもします。楽器の材料の注文も来るんですよ。

—幅広い業務に取り組んでいらっしゃるのですね。小薗さんはどのようなきっかけでこの世界に?

私の父は20歳の頃から木にまつわる仕事をしていて、製材所では仕入れも担当していました。木を見れば、「この木はどこの山から出てきた木だ」と分かるほどで、木材市場でも「小薗さんに聞けば、木のことは何でも分かる」と、一目置かれる存在だったのです。

その父が木材業を起こして、ちょうど一年目に私から「ゼロから木の勉強をしたいから、木の仕事をさせてほしい」と頭を下げ、そこから父と木材業を始めました。

当初は、製材所に製材をお願いして市場に出荷していましたが、製材賃がどんどん値上がりをしていくものですから、自分たちで製材所を作って市場に直接卸し始めたのです。それが、この製材所になります。

—会社のルーツにはそんなストーリーがあったのですね。

入社当初、私は売り担当でした。関東・東海地方に行って、一人で市場開拓をするのです。「わざわざ宮崎県の小林から、よくいらっしゃいましたね!」と、受け入れてくださった会社から、「霧島栂(つが)をうちの市場に出荷してくれないか?」と声をかけられ、それで5~6年飯を食わせてもらいました。そこから別の繋がり、また別の繋がり……と数々のご縁で、現在に至っているのですが、「木の商売って面白いな」と思ったのは、こうした“繋がり”にあると思います。

大震災で「木」が売れない……会社の再興をかけたチャレンジとは

—現在、2代目ということですが、これまでもたくさんのドラマがあったのではないでしょうか?

今でも忘れられないのは、1995年の阪神・淡路大震災です。震災を受け、メディアでは連日、「木造住宅が燃えて壊れていきます。軽量鉄骨住宅は残っております」と報道され、当時70%が木造軸組工法、20~30%がパネル住宅だったのが、その割合が完全に逆転。木造の家がどんどん減っていったのです。弊社もその打撃を大きく受けることになりました。

—業界の構造自体がひっくり返ってしまう出来事だったのですね。そこからはどのような起死回生策を取られたのでしょう。

転換点になったのは、二十数年前に始めた展示会だと思います。当時はパンフレットを作る製材所は珍しく、メディアにも取り上げられました。特に反響が大きかったのは、建築材ではなく工芸品でした。本当はこっち(木材)を見てほしかったのですが、それならば「これからは工芸でやっていこうかな」と思ったのです。そして、次は工芸品をメインに展示会を開いたところ、それがまた好感触でした。

ところが、二十年間も続けると、売り上げも頭打ちになりました。その時、原点に帰ろうと思ったのです。そのきっかけをくれたのが、木材市場の社長の言葉でした。偶然弊社に遊びに来られた時に、「おい、小薗くん。たまには俺んとこにも木材を持って来いよ。俺も(販売の)応援するから」と言ってくださったのです。その心意気に心が動かされました。この時代なので、なかなか商売繁盛とまではいきませんが、それでも多くの方々の支えがあって、『きりしま木材』という会社をやっていけているのだと思います。

「木が好き」。木に教わり、人に支えられて

—いろいろな経営努力をされて今があるのですね。

私どもが扱う木は、博打性があります。原木市場に行き、「この木は何に使えるかな」と、目算を立てて、期待しながら落札するのですが、自分の目利き通りに製材が取れた時は万々歳です。しかし、取れなかった時はガックリです。製材してからも、数年寝かせる間に割れたり、曲がったり、虫が付いたり、製品にならなかったりすることもあります。

—一か八かですね。出来上がった時の喜びもひとしおでしょう。

最終的に、お客さんが弊社の製品を買って、「ああ、小薗さんの製品を買って良かった」と、言ってくれた時がもう……最高の時ですね!

—モチベーションも上がりますね。他にモチベーションの源になっているものは何ですか?

やっぱり……「木が好き」ですかね(笑)。木材市場に行くのも楽しいですし、山に木を見に行くのも、旅歩きして見るのも好きです。人の家に行くと、つい「この木は何だろう」と、木を見てしまいますね。木の使われ方は私の想像をはるかに超えていて、まだまだ知らない世界だらけです。知り得たことを後世に伝えるため、「文章にしなさいよ」と(妻に)言われるのですが、そんな簡単ではありません。

—本当に木がお好きなんですね。小薗さんにとって、木とは何ですか?

生き甲斐の一つでもあるし、人生の師匠みたいな存在です。木も、優しく扱えば応えてくれるし、荒く扱えば反抗します。製材して使い物にならなくても、薪やチップや紙になって、最後に灰になってからも役に立ったりと、木は捨てるところのない、すべてが人間の身になる存在ですね。

—木に教えられることがたくさんあるのですね。では、「働く」とは?

もちろん家族を養うという生き甲斐もあるし、生活の糧だと思いますが、大前提として、楽しむことですね。楽しめないことには、続かないですし。苦しいことを乗り越えられたのは、前向きにやってきたからです。崖っぷちになる度に、つっかえ棒という木に助けられているのは確かです(笑)!今まで出会った人たちが「お前が止めたらどうする?!」とつっかえ棒になってくださって、これまで支えられてきましたね。