永久井野かくれ念仏洞(ながくいのかくれねんぶつどう)
薩摩藩では、戦国時代末期から一向宗(浄土真宗)が禁止されていました。実際に告示されたのは慶長2年(1597)のことで、島津義弘が朝鮮出兵の際、留守に残した掟書の中の一条に「一、一向宗の事先祖以来御禁制ニ候之条、彼宗躰に成候者曲事たるべき事」の一文があります。
禁制の理由については、宗派内の封建的性格と宗祖親鸞の平等思想が、当時の封建支配者層にとって非常に危険なものであったためともいわれています。しかし、藩の厳しい弾圧にもかかわらず、ひそかに信仰する人は後を絶ちませんでした。信者達は信仰を守るため、人里離れた洞穴(諸県弁でガマ)などに夜目にまぎれて集まり、講話をきいたり、念仏を唱えました。
このような一向宗禁制は明治9年(1876年)まで続き、解禁後、これらの洞穴はしだいに忘れ去られていました。永久井野地区にあるかくれ念仏洞は入り口幅約70センチメートル、奥行き18メートル、最大幅6メートルで、入り口から8メートルは大人がしゃがみ、ようやく進めるぐらいの余裕しかありません。しかし内部は広く、50人ほどが座れ、奥に行くにつれて傾斜しています。
種別
市指定史跡
指定日
平成4年10月26日
所在地
小林市北西方4160-7
年代
江戸時代
地図
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更新日:2022年02月18日