紙屋城第二の空堀跡(かみやじょうだいにのからぼりあと)

更新日:2022年02月18日

 日向の中世を代表する伊東氏は、その勢力内に伊東48城と称される守りの城を築いたとされています。そのうちのひとつを西の守りとして紙屋に構築しました。
 城跡は、南北へ形成された5個の郭からなり、典型的な連郭式山城です。第二の空堀跡は、東西に掘られた空堀で全長約130メートル、幅12メートル、深さ5メートルで、発掘時は断面が「V字状」をした薬研堀(やげんぼり)でした。

土と芝生の地面の真ん中がくぼみのようになっている紙屋城第二の空堀跡の写真

種別

市指定史跡

指定日

昭和63年3月8日

所在地

小林市野尻町紙屋字城原

時代

戦国時代

地図

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